11月10日(日)~11月24日(日) 福岡国際センター(画像は「NHKスポーツオンライン 大相撲『取組動画』」など)
<来場所は綱取りがかかる琴桜>
琴桜が大関5場所目で初優勝した。千秋楽の結び大関決戦は13勝1敗同士とハイレベルの優勝決定戦にしてはあっけなかった。しかし、来場所2人の成績が逆になれば横綱同時昇進の可能性もあり、期待を繋げる結果になった。この対戦結果を喜んでいるのは同時昇進で色めき立つ協会と、長らく引き際を待ち望んでいる照ノ富士だ。
最後まで続いた優勝争いに価値あり
琴桜は3日目、最近力を付けてきた王鵬(前頭筆頭)に手を焼いた。王鵬は押し込まれるとすぐに引いてしまう悪癖が減り、足が前に出ていた。大関はしつこい攻めに対し落ち着いて対処したが、土俵際での残り腰がやや足りなかった。琴桜はこの一番を除けば、押し出しや寄り切りで勝つ万全の取り口が多く、安定していた。豊昇龍は今場所、投げに拘らず押し相撲を増やそうとする姿勢が目立った。この力士は豪快に投げたり、土俵際で逆転したりする派手な相撲を取りがちである。
<サラブレッド琴桜とヒール豊昇龍>
決まったときは館内を沸かせるが、あっけなく負けて溜め息を誘うことが少なくない。1場所に最低1番は立ち合いに変化して顰蹙を買うこともある。しかし、今場所の決まり手を見ると、投げは4番。立ち合いが鋭くなり、投げにいかなくても勝てる自信が付いたように見えた。角界のサラブレッドと悪役横綱の血筋。品行方正と野卑。大柄と小柄。タイプの異なる力士が頂点に並び立てば、相撲人気は加速する。これに新鋭の大の里が絡んで来れば、面白さは倍加する。
稽古不足か? 大の里には良薬
その大の里は、前半を4勝1敗でまずまずだったが、6日目に先場所負けた若隆景(前頭2枚目)との1番を落とした。それでも7勝2敗と我慢して終盤に差し掛かかった10日目、関脇大栄翔に上手く取られて3敗目を喫した。立ち合い一気に押し込んで大関の楽勝かと思われたが、大栄翔が堪えて頭を付け、左下手を取って大関の腰を浮かせた。大の里は腰高になったうえに得意の右手が使えず、ズルズルと後退した。
<10日目/大の里-大栄翔>
場所前に感染症に罹って稽古不足が伝えられた。新大関とあって祝賀行事が重なり、稽古不足になるのは仕方ない。昇進した者が等しく通る道である。出世のスピードと地力の付く速度が一致しなかったのは明らか。普段から稽古量が足りない、親方の指導が甘いなどという蔭口も聞こえてくる。それが事実、と思わせるほど今場所は脆かった。
引き出しの少なさを指摘する解説者が多い。立ち合いのぶちかましから素早く一気に寄り切るのがこの人の真骨頂。窮地に陥った際に繰り出す技は少ない。大柄な体にモノを言わせた圧倒的な押しの迫力でここまで駆け上がってきた。大銀杏も結えない若手力士だ。焦ることはない。来年1年かけて横綱に相応しい技量を身に付ければいい。
クセ者と元気者の3番相撲
11日目、珍事が起きた。クセ者宇良(前頭2枚目)と元気者平戸海(前頭筆頭)は、本割で互いに突っ張り合い、土俵際で同時に体が外に出た。案の定、取り直し。ここまではよくあるパターンだ。取り直しの1番は宇良が立ち合いよく踏み込み、平戸海を押し込んだが頭が下がりすぎて叩かれた。しかし、そこは転んでもタダでは起きない宇良。土俵際で押し返した後は行司の軍配を覗く太々しさを見せた。しかし、これまた同体と判断されて2度目の取り直し。最後は息の切れた平戸海に気力は残っておらず、宇良の押し倒しに敗れた。
<11日目/宇良-平戸海>
角界でも1、2を争う人気の宇良は、今場所頭を下げ過ぎる取り口が多かった。トリッキーな取り口も最近は覚えられて対策を立てる力士が増え、以前のように腰が引けて出方をうかがう力士は少なくなった。平戸海は先々場所小結で10番勝ち、次代のホープに名乗りを上げたが、9月場所で7勝8敗と跳ね返され、そして今場所は平幕筆頭で大きく負け越した。回転の速い突っ張りが身上で、外連味のない、小気味いい相撲を取る。勝っても負けても手数が多く、毎場所館内を沸かすことで人気が急上昇している。
ただ、悲しいかな、サイズがない。突っ張りの威力が足りず、それだけで重い大柄の力士を土俵の外に追いやるパワーに欠けるのだ。宇良のように、体重を増やして突っ張りの威力が増したならば、幕内上位に欠かせない力士になる。前頭の6枚目あたりまではベテラン、中堅、若手がひしめく最も層が厚いところだから、勝ち越すのも簡単ではない。
北の富士、死す
解説者の北の富士が逝った。享年82。舞の海とともに相撲人気を盛り上げた功労者だった。現役の頃は足の長いハンサムな力士として高い人気を誇り、芸能界の有名どころと浮名を流した。名横綱の資格ともいわれる2ケタ優勝も果たした。今でも覚えているのは、ライバル玉の海急死の一報を聞いたときの表情だ。
外出先から戻った直後だった。タクシーから降りようとした途端、大勢の報道陣に囲まれた。後部座席に座ったままの北の富士は、記者のひとりから悲報を聞かされる。一瞬茫然とする北の富士。事態が飲み込めたのか、見る見るうちにぼろぼろと涙を流し、茫然自失の表情に変わった。玉の海は小柄ながら多彩な技で安定した相撲を取り、大横綱大鵬の引退後は北玉時代が本格的に到来するかと言われていた。それだけに早すぎる死だった。
北の富士は横綱2人を育ててからは、協会に残らず解説者の道を歩んだ。それだけに、語り口は遠慮がなかった。晩年は集中力が落ちて実況のアナウンサーと掛け合い漫才のようになり、それがまた良い味を出していた。自身は立ち合いの変化や張り手、かち上げなどを好まない正統派の力士だっただけに、白鵬の傍若無人な取り口には批判的だった。一時代を画した名力士、名解説者がひとり、またこの世を去った。合掌。(三)