●読み始めに思っていたこと


 ポピュラーサイエンスを含めて、医療関連の本を読むことが多い。50年以上も医療関連業界専門紙記者を続けてきたので、職業的関心が他の人よりは少し強いということもあるが、年々その意識が薄らいでいるのを感じる。


 後期高齢者となって1年が経とうとしているので、自らの先行きが近い、もっと正直に言えば、「老い」の実感が強いことが、職業的関心の薄らぎと重なっていることは認識できる。歩く速度が遅いことを自覚したのはかなり以前で、談笑しながら登校する高校生たちにいつの間にか抜かれてしまうことに気付いてからだ。前期高齢者から後期に変わる境目の頃には、何かを胸に突き付けられたか、身体のどこかが痛んだのかわからないが、肺炎で入院し、杖に頼る坐骨神経痛で長く苦しんだ。


 だが、どうもこの「老い」を自覚しつつも、どこかに若いときに想像していた深刻さや精神的な苦痛や気分の落ち込みがほとんどないことにも気付いている。かといって、高齢者の集まるクラブのようなところに参加し、ゲートボールやダンス、最近流行っているらしい健康マージャンなどといったものに参画しようという気構えもない。


●チロリアンハットの集団行動


 サロン的な雰囲気が若い頃から性に合わないこともあるが、親しい友人と酒を飲んだり、競輪や競馬で一喜一憂したりすることのほうが、まだ面白いと感じている。


 酒友のひとりは、旅が好きで、ときどき独りでどこかふらりと出歩くらしい。彼の話が面白い。「駅に年寄りの列ができてるんや。みんな胸に同じ札をぶら下げてる。あんな旅が楽しいとはとても思えへん」「山のほうに行くんやろうな。みんな同じようなチロリアンハットかぶってる」。彼は吐き捨てるようにそうした光景を説明しながら、「たぶん、ツアー会社が服装の雛形を教えてるんやと思う」と推測も語る。その観測は、たぶん間違ってはいないだろうと思うが、定番のファッションというものに日本の高齢者は弱い。みんなと同じなら安心できる。


 自分と、その酒友と、集団で行動する高齢者の違いは何だろうか。たぶん、身体を動かす、大勢に人の中で会話を交わすといった集団行動は、老いの対処としては間違ってはいないのだろう。運動を欠かさない、孤独にならないという点では昨今の高齢者の「健康寿命延伸」の教科書通りで、社会的に何も問題はないのかもしれない。どころかたぶん、日本人の美徳として慣習化し始めているのだろう。


 私と友人は孤独となり、寝たきりになって「家族に、周辺に、社会に迷惑をかける予備軍」だと陰口をきかれているかもしれない。迷惑な死に方はしたくないが、それを避けようとするなら安楽死ということになる。酒友に訊く。「安楽死したいか」。彼は即答する、「嫌や、せえへん」。


●脚本家の身勝手メッセージ


「安楽死で死なせてください」と社会にメッセージを発したのは2016年の橋田壽賀子だ。国民的朝ドラと言われた『おしん』の作者でもある彼女の発信は、多くの同調者を集めたようだが、私自身は橋田の手記(文藝春秋)も読んではいないし、翌年に刊行された本も読んでいない。現在に至っても読む必要があるとは感じていない。そのため、彼女の動機や内面の独白などは知らない。


 橋田の手記に関心が持てなかったのは、彼女がその時点でまだ精神的には健康を維持し、一流雑誌に手記を書く情熱もあること、「安楽死」という言葉をイージーに使うことで、社会に対する「阿り」のようなものを感じていたからである。その手記が書かれる4ヵ


 月前には相模原障害者施設殺傷事件が起きている。橋田がこの事件にインスパイアされたかどうかは手記を読んでいないので知らないのだが、一般人の私には状況的には極めて陰湿な出版ジャーナリズムの営業戦略を感じた。よく言えば、ビジネスライクというのか(英語にすれば印象が和らぐという思いは、まったくの私の個人的な主観である)。


●相模原事件のインパクト


 相模原で障害者19人を刺殺した植松聖は、障害者は不幸しか作らないので、保護者の同意を得て安楽死をさせるべきだという主旨の主張を、衆議院議長に宛てた手紙で記している。2016年は、障害者を多数殺すというインパクトを伴って「安楽死」が社会に放り投げられた。むろん、言葉はここで生まれたわけではないが、「安楽死」という言葉は、この事件を契機にして、明朝体からゴシック体に変化したような印象を私は持っている。


 ゴシック体になった「安楽死」を、自らの信念の吐露とはいえ、4ヵ月後に周りに迷惑かけないように「安楽死で死なせてください」と書いた脚本家の夜郎自大さにクラクラする。


 16年を契機に安楽死は日本でも大きくクローズアップされるようになったという言い方には、専門家からはクレームがつくだろう。


 安楽死が国内でそのフレームが捉えられたのは91年の東海大学病院事件である。34歳の医師が家族の治療中断を懇願されて筋弛緩剤を使って患者を死なせた。医師による初めての「安楽死事件」とされる(同様の案件はたぶんかなりあったとは私は思う)が、当該の医師は執行猶予のついた有罪判決を受けた。これについて、『安楽死を遂げた日本人』(19年刊)で、ジャーナリストの宮下洋一は、この医師に取材したことを明かし、「安楽死に関する法制度やガイドラインが曖昧な状況で、彼は安楽死を施すという行為に及んでしまった。患者の死後、一方的に裁かれた彼には、同情の念を覚えた」と述べている。


 制度やガイドラインが曖昧な状況の中で、医師だけが裁かれたという事実は宮下の言う通り「安楽死」そのものをカオスに置いただけで、その後は関係者(医師、宗教家など)やジャーナリズムの間で議論されるだけで、まるで前に進まなかった。


 16年の相模原事件、橋田壽賀子のメッセージが契機となって、ゴシック体になった「安楽死」は19年にスイスで自殺ほう助を受けた難病患者の報道、同年11月の京都ALS患者嘱託殺人事件へとつながっていく。


●難しい「論点整理」


 社会的には2つの事件は安楽死というより「自殺幇助」「嘱託殺人」というニュアンスが強く意識されている。ここから私が印象を導いてしまうのは、「安楽死」という言葉は使われているが、日本国内では、違う言葉に言い換えたいことも含めて、どうも安楽死を一括りにしてしまいたくない空気が覆っているということである。認めてほしい人と、認めたくない人がいる。違う言葉ならいい人と、それでも認めたくない人。


 まず安楽死がどういう状況を指すのかさえ、きちんとした議論が行われていない。「安楽死は是か非か」というだけの議論では漠然としていて、議論はあちこちに飛んでしまう。論点整理が行われていないことについて、安楽死をテーマにした複数の著書がある医師の西智弘もまず指摘する点であり、すなわちそれは「安楽死」が「まともに順序立てて議論されていない」状況を示すもので、だから今、勝手に走ってはならない問題なのである。


 論点の整理を進めてみる前に、安楽死を求める人の声を前提に聴いておきたいと思う。論点が濁るという指摘は十分に予測しておくが、安楽死を求める人間の声は聴いておきたい。私はとりあえず健康で、安楽死を望む地平は、はるか遠くから眺めている。求める人の声を咀嚼してから関連の読書を進めたいと思っている。


 以下は、京都ALS患者嘱託殺人のALS患者のブログでの言葉。(NHKハートネットTVから)


 悔しくて愛おしいこの身体。でもこの身体で生きてはいけないんだ。生きているとは思えないんだよ。

 やっぱり当事者にしかわからない気持ちって多いですよね。修行だ!とか運命を受け入れろ!とかいわれてもねぇー。(幸)