年末吉例快楽亭ブラック毒演会 2019年12月30日(月)13時~15時30分 東京浅草・木馬亭


暮れも押し詰まった12月30日、久しぶりに落語を聞きに浅草へ出掛けた。あいにくの雨模様で冷え込むが、溢れんばかりの人でごった返している。その大半が外国人観光客。彼らが大勢で群れて道を塞ぐものだから先に進めず、仲見世通り商店街で二度も道順を聞いたのに迷ってしまった。


木馬亭はもともと浪曲の常打ち小屋で、大衆演劇場を併設している。130席のこじんまりした定席は広すぎず狭すぎず、耳を澄ますと隣で公演している軽演劇の音が漏れてくるのが玉にキズではある。


定刻通りに開演。前座で弟子の快楽亭ブラ坊が登場した。これが恐ろしくつまらない。歳の頃は30代前半。入門して10年経つようだが光るものが見えてこない。数分ほど意味不明のマクラを喋った後、「古典落語に似た噺をやりますから」と始めたが、何の話かわからなかった。師匠のブログによれば、稽古を付けてもらっている師匠の了解もなく高座にネタを上げるそうだ。本当ならば、とんだ了見違い。人を笑わせるのは天賦のもの。残念ながらこの人には備わっていない。にもかかわらず、笑いが起きる。常連の甘やかしが芸人のレベルを下げる。


ようやく主役が登場。快楽亭ブラックを少し紹介しておこう。1952年の東京生まれ。米国軍人の父と日本人の母を持つ。故立川談志に弟子入りし92年に真打。談志が落語協会を脱退して旗揚げした立川流を07年に退会して以降は落語協会の会員資格を失い、末廣亭などの主要な定席で活動できなくなった。過激なネタを披露するため落語家としてはテレビ界からは追放の身だが、政治経済や芸術・文化など世俗全般への風刺と批評眼は鋭いものがあり、コアなファンが少なくない。また映画や歌舞伎の造詣が深く、古典落語も上手い。創作落語のなかでは古典に題材を採りながら独自の味付けをした作品が出色である。


最初の演目は『鼠小僧次郎吉~蜆(しじみ)売り』。船宿の客は、魚屋の親方ながら裏では義賊の次郎吉。船頭の話を聞いて驚いた。昔、次郎吉が盗んだお金で、ある男を救った。その男が船頭の姉といい仲になったものの、盗んだ小判を所持していたのがバレて牢屋入り。それで、姉は生計を立てるため蜆を売っているのだという。それを聞いた次郎吉は子分を身代わり出頭させて男を解放した。恩が仇になったという人情話の一席。ブラックは本寸法に近い語り口で約40分、手堅くまとめて達者ぶりを披露した。


間髪入れずに演じたのが『文七元結(ぶんしちもっとい)』のブラック版で『文七ぶっとい』。三遊亭圓朝の名作で説明不要の人情噺。ほぼ正統に近いストーリーが展開するが、違うのは鼈甲問屋の個所。詳細は憚れるので割愛するが、これも40分間観客を引き付けた。この人は人物の造形だけでなく情景描写も上手い。古典落語は時代背景を冒頭に説明してから展開させるのが一般的だが、ブラック師匠は話の合い間に現代の政治経済に言及して当時と比べることでコントラストを付けている。それが強引だと話のリズムを失って腰折れすることもあるが、上手くハマると絶妙なスパイスになる。ここで中入り。場内が一度カラになった。



後半は『塩原多助一代記』から。下野の田舎者が江戸に出向いて掛け金の回収に行くが、そこで不運に遭遇し……、という長講の一部だが、聴きどころは方言である。6代目円生は上総訛りなど方言遣いが抜群に上手かったが、円生師を敬愛するブラックも劣らずテクニシャンである。方言は言葉をなぞるだけでなく、イントネーションを似せなければ駄目。私事になるが昔、演劇を志したことがあり、劇団の研究所では地方の若者がいっぱいいた。方言のイントネーションは音痴の人だと矯正しにくい。音感がないから直し方がわからないのだ。ブラック師匠は東北でも九州でも、ほどよく真似る。音感に優れているのだと思う。


最後は『一発の〇〇〇』。1989年にベストセラーになった「一杯のかけそば」のパロディ版で、タイトルは放送禁止用語なので、これ以上書けない。タモリが「そのころ150円あったらインスタントのそばが3人前買えたはず」と発言し「涙のファシズム」とそのウサン臭さを批判してブームは下火になったといわれる。そんな偽善ぶりを揶揄したかったのだろう。ブラック通のなかでは師走の定番と言われ、1年を締め括る習わしという。


強烈で破天荒ではあるが、生でなくてもぜひ一度聴いてほしい落語家だ。なお、木戸銭はCD1枚が付いて3,500円。大好きな『小判一両』が収録されており、大真面目に演じて秀逸である。(頓知頓才)