幕末から明治に当時大変な人気があったという河鍋暁斎。ギメ美術館収蔵の『釈迦如来図』は、来日したエミール・ギメ氏に暁斎が送ったものだそうで、どこかの展覧会でこれを観たときは、明治の画家は横山大観や菱田春草などしか知らなかったので、その画風に驚き〝河鍋暁斎〟という名前も覚えました。


 さて、世間の注目度が上がったからか、私が気にしているからなのか作品をよく目にするようになった暁斎は浮世絵や日本画など多くの作品を残していました。掛け軸や屛風絵の他に、たびたび開かれた席画での人々の姿を描いたものや、また弟子として〝暁英〟という名前を与えた建築家ジョサイア・コンドルと旅をしたときの絵日記まで。そこには頻繁にコンドルが登場するので顔のハンコを作り押していました。今でいうコミックエッセイのようでおもしろかったです。


 そんな暁斎の本画のない『河鍋暁斎の底力』は、キャッチコピーに「下絵だけじゃダメですか?」とあるように完成品は展示されていないユニークな構成でした。本来残らない浮世絵の下絵や、紙を貼り付けて構図を何度も直した下描き、弟子のための絵手本など多くの素描や画稿だけでも充分楽しめました。注文が殺到していても弟子のために仕事を中断して教えていたのがわかる描き込みがあったり、また西洋劇の絵で激動の日本を垣間見ることで十分彼のすごさを堪能できました。



 ポスターに使われていた『鳥獣戯画 猫又と狸』の下絵は以前にも展示されましたが、最近発見された上の部分の鼠が足されて公開されていました。今なお発見があるのがすごいです。


 彼はとにかく対象をつぶさに観察し、ひたすらスケッチをして腕を上げ、また驚異的な速描きだったそうです。1本の下描き線に人物の丸みを帯びた柔らかさを感じられるのは、やはり才能ある人でもたゆまぬ鍛錬を続けていたからこそなのだと思いました。


 カラスを描いた墨絵『枯木寒鴉図』は展覧会で受賞し、当時としては破格の百円としたら高過ぎると非難されたのを「これは鴉の値段ではなく長年の画技修行の価である」と返した逸話は、現代の特にクリエイティブな仕事をしている人たちがよく直面する問題に対して言い放ちたい言葉でしょう。この言葉を榮太樓本舗店主が気に入ってその値で購入したというところまで今の世に広まってほしい話です。


 今開催されている『河鍋暁斎―躍動する絵本』(太田記念美術館・12/19まで)では北斎漫画のような〝絵本〟と呼ばれる冊子を展示しています。いわゆるイラスト集ですが、本をバラして1枚づつにしてあるので細部まで鑑賞できました。ユニークな一コママンガのように楽しめ、絵の細かさと発想に驚かされます。



 まだまだ何が出てくるのかわからない暁斎。蕨市にある河鍋暁斎記念美術館にもいつか行ってみたいです。