積極的に現代アート鑑賞したいというほうではないので、最初は観に行く予定はなかった『ゲルハルト・リヒター展』(10/2まで、東京国立近代美術館)ですが、今年90歳になっても制作を続けていると知り、「あれ?ボテロだけじゃなかったのか、高齢の現役アーティストは」とちょっと気になって行ってみました。



 これが良かったです。思い切って行った自分をほめたい。一応事前予約制ですが、当日券の空きがまだあるとも言われずに購入できたので、空いているのかなと思って入ってみたら、結構な数の人たちが鑑賞していました。パッと見、若い人が多いようで、ベビーカー押したり、小さな子どもも一緒という若いカップルもいました。


 初めてのリヒター作品。いわゆるアブストラクトと呼ばれる抽象芸術ですが、この言葉を最初に知ったのは遥か昔に読んだ大島弓子の『バナナブレッドのプディング』でした。主人公の女子高生が、ずっと画家の父親のアブストラクト作品を怖がってたのに、ある日それと対峙したとき、タイトルは〝出発〟だと父親が教えたというシーンが、肝心のストーリーよりも思い浮かぶくらい印象に残っているのですが、当時は観る側の精神状態で変わるということがあるのかなとぼんやり思ったものです。もちろん、正直何が描かれているのかわからない抽象画でそんな経験はこれまでなかったのですが、日本初公開の『ビルケナウ』という4点の作品の中の1点の前に立ったとき、自分の中で何かがザワつきました。



 今回は鈴木京香さんのナレーションのイヤーガイドを聴きながらだったので、作品の背景を知ってから鑑賞したからかもしれませんが、少し怖さみたいな、でもじっと見ているうちに泣きたくなりそうな不思議な感情が湧いて、すぐには動けなかったのは正直驚きました。でも他の3点の前では何ともない。全部観てからもう一度確かめに戻ってもやはりその前でだけ、ほんの小さな何かを体の真ん中あたりに感じて、作品から何かパルスでも放射されているのかとまで妄想してしまいました。フライヤーにも使われているのですが、それでは何も感じないです。実物を観るということで体験できたわけです。


 このビルケナウはユダヤ人収容所のひとつで、そこにいたゾンダーコマンドによって隠し撮りされた写真をリヒターは描いていたけど、最終的には上から塗り潰すようにしてこの作品になったそうです。


 元になった写真も隣に展示されていますが、いったいどうやって写真を残せたのかも気になりました。映画『サウルの息子』(2015)を見る限り、そんなことは不可能に思えたからです。この写真にまつわる話でも映画ができるのではないでしょうか。


 特別展のチケットで『MOMATコレクション』も観ることができます。そこにもリヒター作品がありますし、今ならあまり回顧展とかだと展示されない藤田嗣治や小磯良平などの戦争画もあります。これで戦意高揚したとはとても思えないですが、時代の空気でやはり受け止め方が当時は違っていたのでしょうね。


 続けてドイツ絡みの作品をここのところ観て、いろいろ考えさせられているなと思いました。まあ何を感じるかはそれぞれなので、よかったら行ってみてください。