とても楽しみにしていた『装いの力―異性装の日本史』(10/30まで)を観に友人を誘って、渋谷の喧騒からそう遠くない静かなエリアにある、いまだ迷わずに行けない松濤美術館へ。



 ジェンダーという言葉があちこちで聞かれる今、ちょっと抑えておくべき内容でした。


 〝異性装〟というとまず最初に思い浮かべるのは何でしょうか。ドラァグ・クイーン?リボンの騎士?それとも大河ドラマで強烈なビジュアルで敵の目を欺く姿の大泉洋演じた源頼朝でしょうか?


 第一会場で最も古い〝異性装〟として挙げられていたのが〝日本武尊〟と〝神功皇后〟でした。えっ?そこから!?と思わずひきこまれました。そういえば日本武尊が大蛇を退治するのに生贄の女性のフリをしていたというのを何かで読んだなと記憶が呼び起こされましたが、こうしてみると古事記にまで出てくるくらい日本において〝異性装〟はごく身近なものだったのだなと改めて思いました。それがやがて取り締まりの対象になったとか、西洋の思想の影響によって変わっていったのを時代順に展示してあったのがよかったです。昔から外国、特に西洋人の評価を気にしすぎていたのですね。もっとこれが日本だと胸を張ってもよかったのではないかと思いますが、人の目を気にする国民性がそうはできなかったということでしょう。


 それにしても明治に入ってから花見で女装するだけで逮捕されてしまっていたとは。昔は男子の方が生まれて生き残る確率が低いことからしばらくは女の子の格好をさせる風習が日本に限らず西欧諸国にもありました。ハプスブルク家やスペイン、英国の王族や貴族の男子が、幼少期に女の子の姿の肖像画を残しているのは、もともと男子の方が弱く、生命力の強い女子にあやかってと聞いていますがなぜダメになったのでしょう。この風習からしたら、女の子の格好をしたために異性に関心を持たなくなるという理屈は成り立たないわけで、目くじら立てることはないと思いますし、今回の古来からの異性装の成り立ちをいろいろ知ると、どんな服であっても各自の思想とは必ずしも服装に左右されるわけでもなく、もちろんそれによって影響を受けるという場合もあるなといろいろと改めて考えさせられました。


 それにしても神功皇后に静御前、里見八犬伝、三人吉三、黒蜥蜴、オスカル、ひばりくんなどなどこんなに多くの〝異性装〟が常に人々の関心を集めている国はそうそうないのではないでしょうか。それだけ日本人には気になる、気にせずにはいられないということなんでしょう。


 後半に展示されていた映画や演劇のパンフレットを見るとは私もいくつか観に行っていたなと思い出しました。


 ドラァグ・クイーンのパネルと記念撮影もできます。